結成からの歩み
東京十和田会は、昭和61年2月15日設立総会が市ヶ谷会館において開催され結成されました。
その経緯は、三高(下佐剛氏)が中心になり、三農(升舘広美氏)、十和田工業(沢尻広美氏)同窓会支部を主体に話が進められ、大久保順三先生、弁護士の立崎亮吉氏、佐々木秀宜氏に相談しながら、煮詰まってきた段階で、中村亨三十和田市長をはじめ十和田市幹部との懇談会を経て、下佐氏が設立準備委員長に就任、設立に向けて始動しました。
この間、妻神雪江さん、中野渡うめさん、五十嵐八代榮さんの女性パワーが加わり、きめ細やかな会の構想が出来上がり、1年間の準備後に目出度く設立に漕ぎ着け、設立総会には120名が集まり盛大に行われました。
≪設立趣意書≫
吾等の郷土十和田市は、その美をもって天下周知の十和田湖の名を冠し、今や十万年に成長することを標ぼうしております如く、青森県五新市のうち最も未来を秘めている市であります。新渡戸稲造博士の顔が五千円札に印されてからは、記念館と共に全国に宣伝されております。
首都圏にあって日夜職務にまい進しております吾等は、此の郷土を愛し、誇りとし又その発展を祈ってやまないものであります。
もとより、吾等は或いは県人会に、或いは各母校の同窓会支部に加入し、夫々親睦を重ねておりますが、吾等が育ち、学んだ十和田市こそは、終生忘れ得ないふるさとであり、祖先墳墓の地であり、父母兄弟親類縁者知人友人同窓生の多数住む所、奥入瀬の流れる所であります。
此のたび吾等が更に東京十和田会を結成発足させようとする主旨は、此の揺るぎない共通の場を持つ者が、東京十和田会の旗の下に参集し、親睦を深め、エールを交換し、又機に乗じては力を結集して郷土の発展に寄与することを期するために他なりません。十和田市も又、吾等の趣旨に双手を挙げて賛同し、相呼応して協力をしようとしています。
十和田市をふるさととし、又学舎を持つ人々よ、挙って東京十和田会に加入し、参加し、或いは孤独を慰め、或いは更に精神を高揚させて、明日への糧とし、前進の発動力とせられんことを。
≪発起人≫
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下佐剛
升舘広美
沢尻広美
中野渡春雄
≪歴代会長≫
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初代会長 : 下佐剛
二代会長 : 立崎亮吉
三代会長 : 佐々木秀宜
四代会長 : 阿部光成
五代会長 : 野呂義春
六代会長 : 小原武夫(現在)
≪東京十和田会の歩み≫
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