近江綾
新年明けましておめでとうございます。東京十和田会の皆様には、日頃より大変お世話になっており、心より感謝申し上げます。
私、近江綾(本名は小山石富美子)は、青森県は十和田市藤島字小山というところで、畜産業と農業を営む小山石家の三女として生まれました。
物心ついた頃には、歌や踊りが大好きで、祖母が温泉場に民謡を聞きに行く時は、一緒に連れられ、小学生でありながら心地良く聞いていたことを思い出します。
小学校2年生のとき、小林幸子さんの「思いで酒」を歌い、どうしたらうまく歌えるのだろうと真剣に思ったりしました。
テレビの歌番組みが好き、知らない歌でも口ずさみ、一緒に見ている姉に「知っているの?」の問いに、「しらないけど」というと、姉は「だったら静かに聴いてよ」と云われたものです。
とにかく演歌が大好きで、今考えるとちょっと変わった子供でした。
高校受験後自分の進路を決める際に「歌」ということも脳裏をかすめましたが、何といっても父が厳しく、OKの出ないことは容易に想像されました。
そこで職業につく決心をし、高校卒業後、美容学校に通うため故郷を離れ、盛岡の専門学校に一年通い、その後、東京都八王子市にある美容室に十数年間勤務させて頂きました。
美容師になった頃は、将来自分のお店を出そうと思う気持ちで、毎晩お店が終わってからの技術訓練、休みの日も講習三昧でほとんど休むことなく、仕事を覚えることに必死でした。そんな日々を過ごし、気付くと十数年が経っていました。
六年前のある日、市川昭介先生審査のカラオケ大会の応募のポスターが目にとまり、無性に出てみたいと言う衝動に駆られ、お店の人に「出場したいけど、でも土曜日休むわけにはいかないし・・」なんて話していました。
ところが予想に反し「出てみれば良いじゃない」と言ってくれました。歌の大好きだった私に火が付いてしまい、大会に出るためにとカラオケ教室に通い始め、教室の大会で優勝させていただきました。それを機に、教室の大元であるデビュー曲を書いて下さった五城美穂先生の個人レッスンを受けるようになりました。
その後も色々な大会で出場させて頂き、何度かの優勝を頂いたころ、五城先生から「あなたをデビューさせるから」と言われ、美容師をしていたので戸惑いましたが、子供の頃の夢が叶うと思うと嬉しくて仕方がありませんでした。
しかし、難関がありました。それは厳しい父親を説得できるかです。たぶん「何のために東京へやったんだ!」と雷の落ちることが必定です。
でも、悩んでも仕方ないので思い切って手紙を書きました。しかし音沙汰は一切ありません。兄に恐る恐る電話で聞いてみると、あんのじょう、「何を考えているんだ!あのバカが!」と怒っていたそうですが、兄の説得が効を奏したか、何となしに歌への道が開かれていきました。
2003年「はなれて津軽」でデビューさせて頂き、その年の6月に、十和田市で歌う機会があり、両親が初めて私のステージを見て、「富美子は本当に歌が好きなんだ」と分かってくれたようで、今では一番の応援者で感謝しております。
2003年のデビュー以来、インディーズとして7曲を発売してきました。昨年5月には、やっと念願が叶い、メジャーデビューとして、日本エンカフォンレコードより、新曲「三つ葉葵の渡り鳥」「奥入瀬悲歌(エレジー)」を全国発売させて頂きました。
それを記念して、昨年6月15日には、故郷十和田市の十和田市民文化センターにおいて、九百人近いお客様にお越し頂き、「近江綾メジャーデビュー記念コンサート」を開催させていただきました。
東京では、10月31日に中野サンプラザで行われました「歌の祭典」(千葉テレビ収録)には、十和田会の皆様が応援に駆けつけて頂きました。
今年も、新曲「三つ葉葵の渡り鳥」「奥入瀬悲歌(エレジー)」を持って精一杯頑張って参ります。
後援会のことですが、十和田市にはありますが、東京にはまだありません。小又昇さん(十和田工業出身)が中心になり有志の皆様に働きかけ、結成に向けて準備中で近々結成の運びになりそうで、本当に有難いことで心から感謝の気持ちで一杯です。
また、3月22日(日)東京、蒲田駅東口にあります「三井ガーデンホテル蒲田」にて"近江綾ふれあいランチショー"を正午から開催いたします。(会費1万円)私にとっては初めての試みですが、是非成功させたいものとスタッフ一同頑張っております。
ご希望の方は事務局(電03-3739-5519小又)までご連絡ください。
ずいぶんと回り道をした演歌歌手ですが、これからもよろしくご支援のほどお願い申し上げます。